現行制度は名簿式

政党名簿式とは、政党ごとに候補者名簿をあらかじめ公表し、政党の得票数と候補者数を比例的に配分する方法です。

名簿式は、現在、参議院議員選挙と衆議院議員選挙で用いられています。 名簿式では、獲得議席数は政党ごとの得票数で決まります。

日本では、政党の獲得議席を多くするために、最も効率よく政党内で票を分配するという考えに基づいたドント式と呼ばれる計算方法で議席を分配しています。

順位の決め方でバラエティ

衆議院と参議院の違い

衆議院は政党名のみでの投票、参議院では政党名または個人名での二者択一です。個人名での投票も政党全体の得票として集計されます。

衆議院の場合は、政党があらかじめ決めた順位と、小選挙区での落選者の惜敗率によって当選の順位が決まります。

参議院は、政党があらかじめ指定する特定枠と、個人名での票の多さで順位が決まります。

参議院の制度も変化してきた

参議院の選挙に名簿式が導入されたとき、投票は政党名のみで行い当選順位は政党があらかじめ決めた順位でした。これを拘束名簿式と呼びます。

その後、政党名か候補者名のどちらかで投票し、政党内での当選順位を候補者名の票の多い順番に決める制度に変わりました。この制度を非拘束名簿式と呼びます。

近年になって、一部の候補の順位を指定できる「特定枠」を政党が決めることのできる方式に変わりました。

政党の枠組みが選択肢を奪う

名簿式比例代表は、政党の枠組みが有権者にとって良い選択肢を示さないとき、不満の多いものになります。

例えば、有権者は政策Xを望んでいるのに、すべての政党が政策Xの賛成派と反対派を抱えているとしましょう。このとき、政策Xを望む有権者の意思は選挙で表明されることはありません。

名簿式比例代表は、多人数の候補を一つの選挙区で選ぶのに向いているとされます。実際、参議院の比例代表選挙では50人近い議員が全国一つの選挙区から選出されます。しかし、これは政党の枠組みが有権者から選択肢を奪うことによって実現しています。

名簿式では政党内の議論が低調に

名簿式は政党ごとの得票が基本になるので、政党は一枚岩になることが期待されます。政党執行部に忠誠を誓う同調力の強い議員であることが、「党への得票」を基礎とする名簿式を根拠に正当化されていきます。

同調する人間同志には、議論がないので政党内には議論が起こらなくなります。有権者はコピー議員が多数いることに疑問を抱くようになり、議会制の意義を見失っていきます。

単記移譲式は、有権者は政治家個人を選ぶので、個別の議員の責任の範囲は明確な分、政党執行部に対して比較的自由になります。

政党は状況が変化すれば、離合集散します

政党は状況の変化に応じて、離合集散します。重要な論点は変化しますので、離合集散するのが必ずしも悪いものだとはいえません。しかし、離合集散がどのように起こるのかは、単純ではありません。

政党に投票した票は、政党がなくなれば、有権者にとっては行方不明になります。

個人名の選挙制度では、政党の離合集散があっても、責任の主体である議員が消滅したり新たに生まれたりすることはありません。

非拘束名簿式と単記移譲式の違い I

非拘束名簿式(参議院の制度の基本型)は、候補者個人に投票することができます。しかし、非拘束名簿式でも、すべての票は政党ごとに集計され、政党の得票数と政党ごとに獲得議席がきまります。個人名は政党内での順位をきめるにすぎません。

すなわち非拘束式は、政党が異なれば票が移譲されることはありません。たくさんの政党があることによって、票割れによって損をすることが生じます。したがって、定数が少ないとき、名簿式で「統一名簿」をつくる効果は無視できないものになります。

非拘束名簿式と単記移譲式の違い II

また、非拘束名簿式では、同じ届け出名簿内で最も得票の多い順に当選者が決まります。したがって、同じ名簿内のにおいては、票の取りすぎによる同士討ちおよび、票割れによる共倒れを起こす制度です。

したがって、異なる政党同志が、選挙の際に「統一名簿」をつくっても、名簿内での当選議席の政党分布は、得票に比例的になりません。

中間的制度

単記移譲式が事務作業として実現が不可能だと思われた時代に、単記移譲式をできるだけ簡略化するという考えが生まれます。その中で、単記移譲式と名簿式の中間のものが生まれてきます。

森口繁治の考えた案は、(1)第一順位で政党の得票を確定しドント式で政党ごとの獲得議席を決める (2) 移譲は政党内の当選順位を決めるために用いるという折衷案でした。

森口繁治

一方、第二次世界大戦後の帝国議会で社会党は「単記移譲式」を提案しましたが、その案は順位をつけることもなく、単に同じ政党の候補者に移譲するという非拘束名簿式でした。

名簿式導入の経緯1:参議院での導入まで

政党ありきへの躊躇

名簿式比例代表に対する批判は、古くからあります。東京帝国大学教授 数学者の藤澤利喜太郎は、選挙制度を詳しく研究していいましたが、選挙法の改正と比例代表で、「政党の作った候補者名簿に強制的に投票せしむる」名簿式の選挙は日本には不適当であると主張しました。

参議院に名簿式を導入しようという試みは、審議会に参加した学者の意見としては1960年代からありました。しかし、導入はなかなか進みませんでした。

その理由の一つとして、参議院の政党化をすすめるということに対する反発が根強くありました。特に、戦前の政党政治の伝統を引き継いだ衆議院とは異なって、参議院は貴族院のように政党とは別の角度からの議論を期待する考えがまだ残っていました。

導入後

1980年代になって実際に導入された際には、日弁連は政党ありきの選挙制度は憲法違反だとして抗議しました。これまでの選挙制度で大量の得票を得ていた小さな会派の議員達は抗議デモを行いました。ちなみに、この頃になると、野党第一党である日本社会党も名簿式に同意していました。

55年体制と言われ、政党の枠組みが比較的安定していた時代においてさえ、政党ありきの選挙制度に対しては、一定の批判がなされていたのです。

名簿式導入の経緯2:衆議院への導入

「政党本位」の政治改革

1994年に衆議院の小選挙区比例代表並立制は、「政党を中心とした選挙」をうたい文句で導入されます。

小選挙区制と一体化

ここでの名簿式の導入は、小選挙区制の導入と組み合わせであることに注意しなければなりません。名簿式に積極的な意義があると考えるのではなく、小選挙区制での極端な結果を緩和する方法として、名簿式を並立させる方法が考え出されたのです。

並立制の考えは古くから

並立制は、一部では長い間温められていた考えでした。かつて鳩山内閣のときに、自民党は小選挙区制導入に失敗します。そこで、小選挙区制で死票となる民意を救う案として、比例代表制と組み合わせる方法が、首相の諮問機関である選挙制度審議会で1960年代から練られはじめます。田中角栄内閣は、この並立制を導入しようとして失敗します。そのような案が1994年についに実現することになります。