はじめに

用語法はさまざま

選挙制度に関する用語法は、歴史的経緯や価値観によってさまざまなものがあります。また、英語圏をみても、同じ制度が地域によって別の名称で呼ばれることも少なくありません。したがって、選挙制度の議論をするときは、名称によって当該地域の制度を理解したつもりにならないように注意する必要があります。

分類と命名

用語法は、ものごとを分類して、名前を付ける作業によって作られてきます。したがって、用語法が異なるときは、分類法が異なることになります。

用語法には問題意識・政治的意図が反映する

用語法の選択には、それを使う人の問題意識や、政治的な意図が反映している場合があります。用語法は中立的ではないのです。したがって、安易に用語法の統一・画一化をすれば良い訳ではありません。

専門的 vs. 中立的

一部の専門家は、地位を利用して自分の用語法に従わない人を排除する傾向にありますが、自分が慣れている用語法によって、考えを押し付けたり、優位に議論を進めようとする野心が隠されている場合があります。

専門家のつくった用語法のは、洗練されていますが、中立的であるとは限りません。

異文化コミュニケーション

過度に用語法にこだわることで、議論や意見交換を不可能にしないためには、異文化コミュニケーションの態度が必要になります。

すなわち、あわてずに、互いの意味していることを、その都度確認していく柔軟で寛容な態度が重要になります。

このとき、用語法の違いは、むしろ互いの背景や考え方の違いを知る手がかりとして利用することができます。

A. 移譲式と非移譲式

A1. 一人選出を特別視する場合が多い

昨今の多くの文献では、Single Transferable Vote (STV)は、複数人区の選挙のみに対してつかい、一人区についてはAlternative Vote (AV)ないしはInstant Runoff Vote と呼んでいます。ただし、Alternative Vote (AV)は多段回、Instant Runoff Vote は二段回という区別をしている用法もあります。

また、Single Nontransferable Vote (SNTV)も複数人区の選挙のみに対してつかい、一人区についてはFPTPあるいはFPPなどと呼んでいます

一人区 複数人区
移譲式 AV STV
非移譲 FPTP SNTV

これらは、選挙区の定数が1であるか複数であるかを優先した用語法ですが、字義を優先すれば、当選者の決定方式が全面に出て、AVはSTVに含まれ、FPTPはSNTVに含まれます。言語の効率性を考えれば、後者の言葉遣いのほうが良いことになりますが、複数人区か否かを強調したり、複数人区のSNTV を異端視する立場からは、現行の言葉遣いが好まれることになります。

A2. 「非移譲」の恣意性

単記非移譲式の名称も、この制度を単記移譲式との対比で評価する見方に基づいています。ここで強調されているのは、「移譲されないので、票のとりすぎや票割れで損をすることがある」という否定的側面です。

実際この制度は、他の制度との対比でも評価されます。

例えば、伝統的には、\(n\)人当選 \(m\)人連記の制限連記制の極端な場合(\(m=1\))と評価されてきました。また、林田亀太郎は、累積投票を極端に単純化させるという方法でこの方法(単記非移譲式)を説明しています。

累積投票も、完全連記制も、制限連記制も票割れをおこしますが、これらの制度について「非移譲」をつけることはないようです。完全連記制に対して multiple non-transferable voting という語は使用されているようです。

A3.単記か単票か

単記移譲式の名称にも、いくつかの問題があります。有権者は複数の候補に順番を記すので、「単記」よりも「単票」が良いという主張がなされています。

そもそも「単」とは?

また、「単」は、Singleの訳ですが、グレゴリ法が導入されてからは、一人の一票が最終的に一人候補の得票となるとは限らないので、Single の名称は歴史的な名残を示すものになっています。

また、複数の候補者について投票することから、「連記」という用語が使用されることもあります。

A4.別の移譲式 Preferential Block Voting との区別

票を移譲する選挙方法には、Preferential Block Voting という別の方法が知られています。この方法は、基数を過半数に設定し、当選者が確定する度に、当選者の票をすべて移譲していく方法です。この方法では、過半数の集団がすべての議席を獲得することができます。この制度を指して、「優先順位付き連記投票」という訳がありますが、この訳語をオーストラリアの下院制度に対して使う用語法もあります。オーストラリアの下院制度は、すべて1人区なので単記移譲式とPreferential Block Votingは同じ方法になります。

Preferential Block Votingとの区別のために、PR-STV (比例代表的単記移譲式投票)という言葉も使用されています。

B. 比例代表: 政党中心の定義が多い

英国のElectoral Reform Societyは、比例代表制を次のように説明しています。

Proportional representation is the idea that seats in parliament should be allocated so that they are in proportion to the votes cast. (訳 比例代表とは、議会での議席はその得票数に比例して配分されるべきだという考えである。)

一方、名簿式比例代表を推進する日本の学者は、次のように述べていいます。

比例代表制は各政党の得票に比例 して議席を配分する方法である。(西平重喜「選挙制度の理念」選挙研究20 2005年)

比例代表は、必ずしも政党の存在を前提としていない制度であるにも関わらず、後者のものは「政党」が前提となった説明になっています。日本で実際行われている方法および書き手の実現したい理想が反映した結果、このような説明になることが分かります。

C. 小選挙・中選挙区・大選挙区

小選挙区、中選挙区、大選挙区は、もともとは文字通り選挙区の地理的な広さをさしていたようです。府県を単位としたものを大選挙区、それを分割したものを小選挙区、歴史的に現れた順に対して中間的なものを中選挙区制と呼びました。

最初の衆議院議員選挙は、小選挙区制と呼ばれましたが、2人選出の選挙区(完全連記)もありました。また、原敬の導入した「小選挙区制」は、2人選出あるいは3人選出の選挙区(単記)もありました。

衆議院選挙制度の変遷

戦後になって、単記移譲式が忘却され、単記非移譲式が当然とされるようになると、小選挙区制は1人区FPTP、中選挙区制は、3-5人区の非移譲式にをさすことが多くなりました。複数人選出の選挙区は、すべて大選挙区と呼ぶべきだという見方も強くなってきます。

D. 少数代表制 I

制限連記や複数人選出の単記非移譲式は、選挙区の有権者の過半数未満の代表者も議会に送り出すことを目的に採用されました。このような目的を、少数代表と言います。一方、選挙区の有権者の過半数または比較第一の集団の代表者のみを選出する方法を多数代表と言います。

多数代表、比例代表、少数代表の言葉は、選挙制度を正当化するときの理念(イデオロギー)や、選挙制度を導入する目的に従った分類です。少数代表の言葉は、連記投票によって同じ党派の候補だけが当選する事態に対して、少数派の代表も選ばれるべきだという問題意識から生まれています。

少数代表という言葉にとどまっているのは、「比例代表」を実現できない様々な理由があったからです。

D. 少数代表制 II

「少数代表」は日本独自の分類か

中選挙区制批判の文脈で、「少数代表」というのは日本の独自の分類であるとの意見があります。

「あとは、少数代表制という言葉が学術用語としてありまして、中選挙区制のように少数の代表も送れるようにという言葉でありますが、これは戦前、東京帝大の野村淳治がつくりました造語でございまして、外国の文献には全くありません。したがって、選挙制度を議論するときは、基本は、比例代表なのか、小選挙区のように多数を代表する多数代表なのかという点を押さえていただきたいと思います。」参考人 加藤秀治郎 衆議院 政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会 (2012) 平成24年05月23日
「この点については、いろいろ古い文献をあたってみたが、戦前に東京帝国大学の公法学教授であった野村淳治による造語と推測される。筆者の調べた範囲では、彼の大正時代の論文(国家学会雑誌一九一八年一一月号)に初めて登場する。」加藤秀治郎 「日本の選挙 何を変えれば日本の選挙 何を変えれば政治が変わるのか」 中公新書 (2003) 37ページ

このような意見の影響か、近年出版されている選挙制度を解説する日本の書籍までが、選挙制度を多数代表と比例代表に区分しています。この区分は、実際に存続している、参議院の地方区、地方議会の選挙制度は、区分にない奇異なものだという印象を与える政治的効果があります。

D. 少数代表制 III

しかし、実際には「少数代表制」は英語圏で用いられています。例えば、"system of minority representation" の語が、1910年の 英国の王立委員会により報告書 で用いられています (Report of the Royal commission appointed to enquire into electoral systems, with appendices (1910))。 そこでは、はっきりと、system of minority representation の節が設けられてています。

英国の王立委員会報告書(クリックすると拡大します。)

現実に問題となっている事象に対しては、区分をもうけるのは自然なことです。19世紀末の英国では、制限連記式の投票制度が実施されていました。

この報告書の記述については、藤沢利喜太郎が言及しています。選挙法の改正と比例代表

また、佐藤芳彦(1997) によって、この報告書の背景および影響が整理されています。